ねおすかい、ねおマズラプ!

アニメ、ライトノベル、漫画、その他本、日常生活等から感じたことを書く「雑談」ブログです

【感想】「教室が、ひとりになるまで」印象に残ったこと・考えたこと3選 〜人間社会で生きることの大変さが描かれる特殊設定ミステリー〜

1. はじめに

 マズラプです。258回目の投稿になります。

 

 今回は、小説「教室が、ひとりになるまで」を読んだ感想を書いていきます。

 

 

 本作品を読んで印象に残った以下の3つについて書いていきます。

①種明かしに驚きと説得力のある特殊設定ミステリー

②人間社会を生きることの大変さと、そんな社会で生きていくために必要なこと

③どうしても触れておきたいシーン2つについて

 

 

 

 どちらかというと、作品の紹介というよりは、感想や感じた魅力を書いて発信することで、少しでも作者の方の励みになればいいなというような趣旨の記事になっています。

 

 作者の 浅倉秋成 さん並びに関係者のみなさんに届け!この思い!

 

 作者の方に関わらず、読んでいただけるととても嬉しいので、どうぞ読んでいってください。

 

 

 

 

 

2. 「教室が、ひとりになるまで」読んで特に印象に残ったこと3選

①種明かしに驚きと説得力のある特殊設定ミステリー

 1つ目は、本作品のミステリーの出来の良さが印象に残りました。

 

 本項では、その中でも特に印象的だった3点について書いていきます。

 

 

思わず唸らされた檀の能力の正体

 まず、檀の能力の正体が印象に残りました。

 

 読み進めていて「最初の自殺は別枠だと分かったけど、それ以外の3つの自殺にも違いはあるんじゃないか」「1つかつ垣内や八重樫と同レベルの能力で、3つの自殺を全て実現させるのは無理なんじゃないか」と思っていました。

 

 まさかそれを実現できる能力とトリックがあったとは思ってもおらず、思わず「なるほどー!」と唸っていました。

 

 『幻影を見せる能力』とは…恐れ入りました…!

 

 壇の能力の正体が、私の予想を上回るもので、楽しむことができました。

 

 

 

目撃者に能力を使用していた

 能力の正体もさることながら、「被害者だけではなく、目撃者にも能力を使用していた」という点が印象的でした。

 確かに、幻影を見せる能力を目撃者にも使用することで、すべて説明することができるわけです。

 

 おそらく、知らず知らずのうちに『能力を使って自殺に見せかけた=自殺者に向けてしか能力を使用していない』という先入観を持ってしまっていたのですね。

 

 まんまとミスリードに乗っかってしまっていたということでしょう。

 浅倉先生の手腕に脱帽しました。

 

 

 

 

能力がこの4種類である理由

 また、北楓高校に存在する4つの能力が、なぜその4つであるかという点についても、印象に残りました。

 

 設立者の友を救えなかった後悔から、友を救うことができたであろう4つの能力が生み出された」という経緯は、説得力があるなと感じ、すんなり腑に落ちました。

 

 『誰か個人の』かつ『自己中心的な思い』から生まれたものだからこそ、逆に納得できたのかもしれませんね。

 

 

 すんなり納得できたため、その後のストーリー展開や本作品のテーマなどを存分に楽しむことができました。

 

 

 

 

 

②人間社会を生きることの大変さと、そんな社会で生きていくために必要なこと

 2つ目は、本作品の扱っているテーマが、印象に残りました。

 

 読んでいて、特殊設定ミステリーの裏で、人間社会の中で生きることの大変さが描かれている作品だなと感じました。

 

 

「『こうあるべき』に従うほど、『自分』が希薄になっていく」

「僕らは同じ檻の中に入れられた別の動物」

「この世界、近くに人がいるのは叫び出したくなるくらい煩わしくて、でも一人でいるのは耐えられないくらい寂しい」

 

などは、本作品の人間社会で生きることの大変さというテーマを象徴している言葉ではないでしょうか。

 

 これらの言葉は、私が今まで感じてきたモヤモヤがピタッと言語化されていて、とても感動しました。

 

 

 本作品を読んでいて「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」(岸見一郎, 古賀史健, 2013, ダイヤモンド社)で以下のように述べられていたことを思い出しました。

 

 対人関係の中で傷つかないなど、基本的にありえません。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、あなたも他の誰かを傷つけている。アドラーはいいます。「悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」のだと。しかし、そんなことはできないのです。

 

 本作品のテーマには、この内容も含まれているのかもしれませんね。

 

 

 

 また、実を言うと、檀の思想にも共感できてしまいました。

 

 私も一人を好むタイプの人間なので、みんなとワイワイすることやクラスで協力する必要のある団体戦などはかなり苦手で、なくなればいいなとさえ思っていました。

 おそらく作中で行われたようなイベントが実際に開かれていたなら、相当嫌な顔をしていたことでしょう。

 

 そんな私にとって、檀の行った『調律』は、できたらいいなと思ってしまうような偉業でもあり、殺人を犯していたにもかかわらず、蔑むことはできませんでした。

 

 殺人を犯した物語の黒幕の思想に共感してしまうというのは、非常に複雑な気持ちですね…。

 

 

 

 

人間社会で生きるために必要なのは「理解者を見つける」こと

 そんな本作品ですが、人間社会で生きていくために必要なことについても描かれているように感じました。

 

 

 それは、そばにいても煩わしくない理解者を見つけることです。

 

 

 終章において、垣内は自分が信じていたものをすべて失い、この世界の生きずらさ、醜さに苛まれていました。

 しかし、白瀬から差し出された手をとることで、再び生きていくことに向き合えた、そんな終わり方だったように感じました。

 白瀬の存在だけで、人間社会で生きていく希望を見出すことができた、そんな風に捉えることもできると思います。

 

 

 このことから、自分のことを理解してくれて、一緒にいても煩わしさを感じない、そんな『理解者』を見つけることが、人間社会を生きていくうえで大切である、というメッセージが込められているのではないかと感じました。

 

 

 もちろん、そんな人は簡単には見つからないでしょう。

 そんな人を探していく中で、傷つくこともあるかもしれません。

 

 でも、出会おうとしなければ見つけることはできないこともまた事実です。

 

 このことから、もう少し勇気を出して人と交流してみようかなと思うことができました。

 

 

 

 

どっちも大切なら、『中庸』で生きればいいじゃない

 また、そんな作品に込められたメッセージとは別に、私自身も人間社会でどう生きていくべきか考えてみました。

 

 私が出した結論は、『中庸で生きよう』です。

 

 要するにどういうことかというと、『誰かとの交流』と『一人でいる時間』をどちらも持ち、どちらも大切にしていこうということです。

 

 ちょうど終章で述べられていたのり子さんの考え方に近いですね。

 

 

 のり子さんの考え方を読んだとき、「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決」(頭木弘樹, 2018, 草思社文庫) で、以下のようなことが述べられていたことを思い出しました。

 

 人と話をするのが大好きなゲーテですが、一方で孤独にも重きを置いています。

 

(中略)

 

 社交を楽しむことと、孤独を愛することは、矛盾しているとは言えないでしょう。人との時間を楽しみ、自分ひとりの時間も楽しむ。それこそバランスのとれた暮らし方と言えるでしょう。

 

 人との交流を好んでいたゲーテでさえ、孤独にも重要性を感じていたわけですね。

 

 

 このように、人との交流を持つことと一人の時間を持つことは、どちらにも良いところはあるし、両立できるものなのです。

 であるならば、「どちらにも良さがあるのなら、両方のいいとこどりをすればいいじゃないか」という発想で生きてもいいのではないでしょうか。

 

 

 

 そういったわけで、本作品を読んで私は「理解者を見つけ、人とのつながりも自分の時間も大切にする」そんな人生を歩んでいきたいと思いました。

 

 

 

 

 

③どうしても触れておきたいシーン2つについて

 3つ目は、印象に残ったシーンについてお話ししようと思います。

 

 上記で大分語ってきたわけですが、本項では、最後にどうしても触れておきたいシーン2つについて書いていきます。

 

 

 

檀も支配者も『同じ人間』

 まずは、終章の『檀と小早川が談笑する幻影』が現れたシーンです。

 

 

 この幻影と終章冒頭で明らかになった小早川の遺書から、檀と小早川は仲の良い友人であったことが分かります。

 

 そしてこのことから、作中の檀の行動を振り返ってみると、檀も自分が支配者と揶揄していた人々と同じような行動をしていたと捉えられると感じました。

 

 「自分の主義を通したかった」「友達を弔いたかった」「相手を理解しようとはしていなかった」など、檀と檀に殺された3人には、いくつか共通する点があると言えます。

 

 

 またことのことから、結局のところ、根っこを探ってみると、ただ単に好き嫌いや考え方が違うだけで、重なる部分も少なからず存在する、同じ人間であると考えることもできるのではないでしょうか。

 

 もしかすると最後に見せた幻影は、檀は狂人でも王でも神でもないし、結局は、檀も支配者側の生徒と同じだったということを示唆するために描かれていたのかもしれませんね。

 

 

 そしてそう考えたとき、どうせ理解されるわけがないと諦めるのはあまりにも早計であり、自分の意見をしっかり伝えるくらいはするべきなのかもしれないなと考えました。

 

 

 

最後に能力を使用した垣内

 最後に、垣内が白瀬に対して能力を使用したシーンも印象に残りました。

 

 このシーンを読んだとき、はじめは「まだ信じきれず、確証が欲しいがために能力を使ってしまった」と考えることができ、なんだか垣内らしいなと感じました。

 

 しかし、よく考えてみると、最後に見えた希望までもが嘘であるという事実を突きつけられる可能性もあり、能力を使わないほうが幸せに過ごすことができるとも考えられます。

 

 そう考えると、可能性の世界にとどまらず、事実に向き合う決意をしたというように考えれば、垣内は一歩前に進もうとしているのかなと思いました。

 

 

 いずれにせよ、特殊能力を扱った特殊設定ミステリーで最後に特殊能力を使って締めるというのは、オシャレな幕引きだなと感じました。

 

 

 

 

 

3. おわりに

 今回の内容は以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 本作品は、全容の分からない特殊能力を絡ませたミステリーと、共感できる人間社会で生きるうえでの苦悩の両輪で、私を楽しませてくれました。

 

 改めてとても面白かったです。

 ありがとうございました。

 

 これを機に、浅倉先生の作品や特殊設定ミステリーの作品ももっと手にとってみようかなと思いました。

 

 

 では、今後もよろしくお願いします。

 

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

 

 

 

4. 参考文献

「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」(岸見一郎, 古賀史健, 2013, ダイヤモンド社)

 

 

 

 

「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ: 文豪の名言対決」(頭木弘樹, 2018, 草思社文庫)

 

 

 

 

 

5. 関連記事

 

pmp68096801.hatenablog.com

 

pmp68096801.hatenablog.com

 

pmp68096801.hatenablog.com

 

pmp68096801.hatenablog.com

 

pmp68096801.hatenablog.com